コンテンツとしての復讐と自らが主体となって行う復讐

今話題の復讐

いつものようにネットを巡回していると、こんな漫画が紹介されていました。

【漫画】いじめられた復讐を同窓会で果たす漫画がなかなか深いと話題に
http://togetter.com/li/906179

中学時代にいじめられていた少女が大人になり、同窓会で逆転した立場で「ざまあみろ」と一言告げるお話。
この話では、いじめた側は勝手に不幸になっており、そこからの救いを求めた手を跳ねのけたというような形でのストーリーになっています。
この話なんかはふいに与えられた復讐の機会に軽く復讐を行っただけという正直、ライトな復讐なわけですが、世の中にはもっと酷い目に遭った人間が全力で自分を酷い目に遭わせた人間を不幸にさせていくような復讐劇もあるわけです。


コンテンツとしての復讐

さて、これに限らず、復讐劇というのは小説にせよ漫画にせよ、より古来からのコンテンツにせよ、読み手・観客を魅了し続けています。
因果応報という概念は人の直観になじみやすいのでしょうか。酷い目に遭わせた主体が行った酷い行為が酷いものであればある程、復讐が過激なものであった際に胸がすく思いがするでしょう。勧善懲悪と言う程解りやすくないストーリーにおいても、やはり因果応報が達成された瞬間と言うのはカタルシスを与えてくれます。現実世界は因果応報になってはいないという認知もあるのでしょう。せめて作品の中だけでも因果応報であってくれるというのは、ある種人間の根源的希求なのかもしれません。


自らが主体となって行う復讐

さて、コンテンツとして復讐は魅力的であること。そして、悪者に因果応報を与えてやりたいという気持ち自体は割と多くの人にはある感情だろうと思います。
では、復讐を自らが主体となって行いたいと思うかとなると話は変わってくるでしょう。
世の中には実際に復讐の鬼と化す人もいます。(時にはそれが逆恨みにしか見えないこともありますが。)
ですが、大半の人間は実際に復讐の鬼になることはないんですよね。

それは自分が犯罪者となるのが嫌だから?

いや、実のところ人の人生を本気で破滅させようと思ったら自らが犯罪行為に手を染めることなく破滅させる方法なんていくらでもあるんですよね。それが思いつかないから、犯罪者になってまで復讐したくない、という人もいるのでしょうが。
結局のところ「犯罪者になってまで」という「~してまで」というところがキーなのだと思うのです。そう、因果応報を与えてやりたいという気持ちはあっても、そこまで強い希求ではなく、コンテンツによる代替機制で満足してしまう。
そう考えると、恨み、怒り、憎しみ…そんな感情って強い感情に見えて意外と弱い感情なんだな、と思うわけです。
実際問題、合法的な方法を複合的に積み上げて他人の人生を破滅させるというのは、可能ですが準備も含めて色々と大変です。一度どうやったら相手の人生を破滅させられるか、本気で考えてみるといいと思います。かかるコストの途方もなさに対して、復讐が終わった瞬間に自分が得られるものがあまりにも小さくて、きっと止めどもない虚無感に襲われるでしょう。
これはある種のアンガーマネジメントの手法としても機能します。本気で怒りや憎悪を感じる現象に出くわした時、一晩枕元で全力で相手を破滅させるシミュレーションをしてみれば良いです。きっとその怒りや憎悪に任せて行動するのが馬鹿馬鹿しいと感じ、感情が滑らかになると思いますよ。

コンテンツとしての復讐は、復讐が終わったら物語は終わり。
ですが、自らが主体となって行う復讐は、復讐の後も人生が続くわけです。
「そんなこと言ったって俺にも人生ってものがあるから復讐なんかしてる場合じゃない」というのがほとんどの人にとって復讐をしない要因なのではないでしょうか。
だからこそ、ちょっとしたコストで復讐出来る場面では一言余計に「あーあ、だから言ったのに」とか付け加えて関係が悪化したりするわけです。実際にはこの一言を付け加えることも実は自分の社会的価値を下げる行為だったりするので、その認知があればコストは低いとも限らないのですが。そこを認知していればこの復讐もしないし、そこを認知していなければチャンスがあれば復讐する。ともあれ、コストが低ければ人は割と復讐する。
冒頭の漫画においてはこのコストが低い場面が訪れた、というそうゆう場面なんですね。


この漫画の復讐は絶対にやってはいけない復讐です

さて、人は自分にとってコストが低い場面だと感じれば復讐を行いやすいという話をしました。冒頭の漫画もそのような切り取り方をすれば、ありふれた場面だと思います。
しかし、この復讐は絶対にやるべきではない復讐です。何故か。
それは復讐の主体は今の人生を重要に思っているが、復讐の対象は今の人生を重要だと感じていないからです。

要するに、この場面は、復讐の復讐が容易に起こり得る場面なのです。
コストが高いから人は復讐をしない。
では、自分の人生を何とも思っていない人なら?
自分の人生を投げ打つことのコストが低いと感じている人は、容易に復讐に走りやすいわけです。

自分の人生が大事だと思ってる人が衝動的な殺人を犯しますか?
衝動的な犯罪は幸福度認知が低い人たちによるものが多いと感じませんか?

自分の人生が大事だと思うのであれば、人生を素晴らしいと感じていない人間と関わること、ましてそんな人たちに危害を加えることなんて、圧倒的なリスク以外の何でもありません。
復讐だけに限りません。加害する機会が訪れた際、自分が加害するかどうかに際して、自分のコストの高低だけで判断を行う人は非常に多いです。大抵の人は自分の人生を大事だと考えているので、大事にはなりません。
ですが、相手が自分の人生に対してどんな認知をしているか。これを軽んじて他者への加害を行うことは、いずれ取り返しのつかない反撃を受けるリスクを孕んでいると理解しておくことは重要だと思います。


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