意識高い「系」なんて揶揄されていませんか?『薄っぺらいのに自信満々な人 (日経プレミアシリーズ)』榎本 博明 (著)

意識高い系ってのは「系」であって意識が高いことではないよね

意識が高いことそのものを否定する人ってそんなにいないと思うのですが、意識高い「系」となると途端に馬鹿にした意味合いが強くなりますよね。
あまりにも馬鹿にした感じが強くなりすぎて、逆に「意識が高いことは良いことなので、意識高い「系」なんて馬鹿にするようなのはひねくれたものの見方だ」というような言説もちらほら聞くことがあります。
少し「意識高い系」という言葉はバズワードになってしまい、僻みからくる揶揄などにも使われやすくなってしまっているように感じますが、SNSでの「上から」批判、“意識高い”アピール、酔うと止まらない自分語りなどなど「あー、いるいる」と思わず馬鹿にしてしまいたくなるようなケースも実際にあることは確かです。
そんな意識高い系の人達が何故自信満々に振舞ってしまうのか、揶揄によるブラックユーモアも織り交ぜながら心理学的見地から説明している本がこの薄っぺらいのに自信満々な人 (日経プレミアシリーズ)です。


「あー、いるいる」な意識高い系の人ははたから眺めている分には面白いかもしれませんが、自分のごく身近にいるときっとウザいことこの上ないでしょう。
「能力の低い人ほど自分を過大評価しやすい」というダニング・クルーガー効果など様々な知見からその原動力となる心理を知ることで、彼らがどのような心理でそうした自己の過大評価・誇大広告を行ってしまうのかを理解するとともに、振り返って自分が実はそうなっていないかとレビューするというのはなかなか面白い体験なのではないかと思います。


意識高い系がいかに残念かを扱き下ろした本なの?

本の構成は次のような章建てになっています。

第1章 能力のわりに、自信満々な人
第2章 「意識高い系」はなぜ仕事が今ひとつなの
第3章 なぜあの人は部下に注意をしないのか
第4章 同類と群れる人の限界
第5章 コミュ力信仰に翻弄される若者たち
第6章 本物は一人でいることを怖れない

これを見ると、実は「あー、いるいる」という共感や馬鹿にした感じで話に引き込んだ後、コミュニケーションのあり方について話をしていることが解ります。
最終章の「本物は一人でいることを怖れない」という言葉なんて、どこかで似たような言葉を聞いた記憶がありませんか?
私はもう、嫌われる勇気の話が強く想起されて止みません。
嫌われる勇気も「人に嫌われることをしろ」と言っているのではなく、「人から嫌われることを恐れないこと」を説いていました。
コミュニケーションというものを自分がコントロールし得るものによって解きほぐしていくと、そこに辿り着くのかもしれませんね。


ところで、本当に意識が高いのではなく意識が高い系なのですか?

実は、ダニング・クルーガー効果って単に「能力の低い人ほど自分を過大評価しやすい」という現象を実証したものではありません。
実験では、学生に「論理学」「文法」「ユーモア」のテストを受けさせ、 同時にその能力について自己評価をさせました。この結果、多くの学生は自分の点数が平均よりやや上に位置すると自己診断し、かつテストの結果と自己評価の良し悪しは反比例するという結果になりました。
ところが、これには「論理学」について授業をした後で再テストすると、自己評価とテストの成績は比例する様になったという続きがあります。ここから、一連の結果は「正確な知識無しには無知を自覚することが困難である」と結論づけられています。

意識高い系の彼らの自己評価は知識や論理に基づいたものでしょうか?
一つずつロジックを重ねて行った時、彼らが言いよどむのであれば、彼らは本当に意識高い「系」なのでしょう。
ですが、彼らの自己肯定より先に問い詰める言葉を失ったのがあなただとすれば、ダニング・クルーガー効果で自己を過大評価しているのはあなたの方かもしれませんよ?


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